華と泪のくノ一稼業




「……おわっ!テマリ、いったい何して……」
「しっ、任務の邪魔すんじゃないよ!」

いかにアホ面とはいえ、その一言とあたしの格好を見た木の葉の中忍は状況を理解したようだった。素早い動作で周囲の様子を確認すると「スマン」と目だけで合図を寄越し、何事もなかったかのようにすれ違っていく。一瞬だけ振り返ると、やはりこっちを見ていた行商人姿のそいつと目が合ってしまい、あたしは慌てて廊下の奥へと歩を進めた。

一番気が進まない任務の時に、一番会いたくない奴に会ってしまったな。
はぁ、とため息をつきながら、宴もたけなわの豪奢な大座敷へと戻って行く。



「おお鞠よ、どこに消えておった!」

こちらは本当に知性のかけらも感じさせないバカ面、米問屋の富野屋豪蔵だ。金儲けのことしか考えず、商人仲間のルールを破ったりするから命狙われんだよ。成り上がりって嫌だねえ。
そんな物騒すぎるこちらの思いなんて知る由もなく、富野屋は無遠慮にあたしの腰に手を回してきた。へーへー、今夜一晩抱くオンナ、今からちょっとくらい色気を出したって問題ないって思ってるんだろう。こういう座敷の作法としちゃあ、失格だよアンタ。

あたしは今、鮮やかな打ち掛けを幾重にもまとい、豪華な簪をいくつも髪に飾った芸者の姿に身を包んでる。富野屋のライバル商人からの依頼で、今回の大名御用達の札を手に入れたこの成り上がり野郎が、ライバル商人のとこの番頭の暗殺指令を出したかどうかを調べなきゃいけない。だいたい8割がたクロってところだけど、最後はコイツの口から直接という方法以外、確かめる方法はなさそうだった。というか、口が軽そうだ。

「白粉を足しに……ぬしさまの前で崩れた顔を見せようものなら、隙を狙う世の女どもにぬしさまを奪われてしまうのではなかろうかと、鞠は生きた心地がしない故……」

うーん、あたしってば演技派。あんたに飲ませる薬仕込んでたなんて、口が裂けても言えないけどね。

「ふむ、可愛いことを言う奴じゃ」
よよよ、と身体を預けてみせるあたしの前で、富野屋はすっかり上機嫌。ま、ここでまでは顔とスタイルさえ良けりゃ(あたしのことだよ、文句ある?)誰でも出来る芸当。ここからが大変なんだよね、あたしらの仕事ってのはさ。

長い夜を予感して、あたしはこっそりため息をついたのだった。



褥に入る準備のために、あたしは1人控え室に戻っていた。ややこしい形に締められた帯のせいで動きづらい衣装から、優雅さを忘れないまでも脱がしやすく実用的な(うーん)着物に着替えていく。

「何、今日はそーゆー任務なわけ?」

あまり聞きたくなかった声は、衝立の後ろから聞こえてきた。
「たまには、ね。普段は我愛羅のおかげでこういう任務、まわってこないみたいなんだけど」
特に驚きもせず、声を落として返事する。
「……うわー、職権乱用」
「勝手に周囲が気を使ってるんだよ。あたしもこの手の任務はあんまり得意じゃないけど、今、専門の子達が出払っちゃっててさ」
仕方ないよ、とため息をつきながら簪を数本外した。
「お前こそ何してるのさ、こんな歓楽街で。え、シカマル?」
「任務終わったんだけどよ、なぜか宴会につき合わされてんだ」
「まったく、ガキのくせに」
「うっせ」

お互いに任務の詳しい内容には立ち入らない。それは同じ里の忍ですら触れない機密情報だ。人の任務中にこうやって話をしに来るってのもかなりの非常識ではあるが。この一月ばかり会えなかったからな。
「久しぶりに会うっつーのに、こんな形でお預けとはな……」
健康な男子の正直な独り言を、あたしの耳は逃さない。

あっちは姿を見せないけれど、あたしの艶姿をまじまじと見つめてるに違いない。そう踏んだあたしは、ちょいと胸のあたりをはだけてみた。
「おわっ!何してんだ!んなもん、気軽に人に見せるんじゃ……!」
予想通り。音量を落としたままとはいえ、明らかに狼狽している声音。
なんだかそれが楽しくって、あたしはくすりと笑った。
「見せるなといっても、これから仕事で全開だよ」
「っつーか、あー、それ俺に聞かせるのって、嫌がらせ?」
「なんだ、妬いてるのか? 任務に一生懸命な忍に対して?」
「妬いてねーし!」
衝立の後ろで真っ赤になってる奴の姿が目に見えるようだ。

「すまんな、これも任務だ……仕方ない。行ってくる」
あたしはそう言い残して、ひと仕事が待つ寝室に向かった。



薄暗い行灯の光。
そろそろと襖を開けて、寝室に足を踏み入れる。
「お待たせしんした」
待ちくたびれた様子の富野屋は、あたしの姿を頭のてっぺんから爪先まで嘗めるようにじろじろと眺めた。やだねえ、エロ親父。それでも、いきなり襲いかかってくるほど無粋ではないらしいだけマシか。

「まずは一献、召し上がりますかえ」
「うむ、貰おうか」

型通りのあたしの提案に、きちんと乗ってくれる富野屋。順調、順調。このまま自白剤でいけそうだな。
部屋の隅に用意されている酒瓶の傍に座り、酒の準備をするあたし。
「鞠も後ほどいただいてよろしおすか」
なんて言いながら、袖の中に隠していた白い粉をそっと杯の中に混ぜ込む。富野屋からあたしの手の位置は死角になっているはずだ。よし、完璧。

「どうぞ」
艶のある笑みを浮かべる。杯を受け取った富野屋は、薄暗い光の中できらめく透明な酒を満足げに眺め、一度に飲み干す……と思いきや。
杯を床に放り、奴はこう言い放ったのだ。
「貴様、何を入れた? 毒か? それとも睡眠薬の類か?」

ちっ、バレている!

こんなにもあっさり気づかれたのはどうしてか、不審に思いはしたが、それを勘繰る暇はない。慌てて飛び退ろうとしたものの、いつもの忍装束より数倍動きづらい着物が邪魔をする。

一瞬後、あたしの身体の上に富野屋が多いかぶさっていた。両手を塞がれ、胸元には脇差しが突きつけられている。
「いろいろと話してもらうが、その前に楽しませてもらわんとなあ」
ニタリ、とイボ蛙みたいに笑う。うげ。

こんな修羅場のひとつやふたつ、怖くはない。拷問の前にあたしの身体が欲しいってなら好都合だ。少しばかり好きにさせれば隙を見せるのが男ってやつだ。ど うにか逃げ出すことも不可能じゃない。この様子じゃすぐ近くに配下が潜んでるだろうから、それ以上のことは難しいだろうけど。

そう、あたしが覚悟を決めた時だった。

「テマリ、早くしろ!」

抑えているけれど、鋭い声が聞こえた。よく知っている声。同時に、あたしの上にあった富野屋の身体から力が抜ける。

あたしは一瞬で状況を理解した。

行灯の光でも、彼の術のためには十分な明るさ。不自然に細長く伸びた影が、富野屋の影に絡み付いていた。もう行商人の衣装から普段の格好に戻っているシカマルが、行灯の裏で印を組んでいる。

あたしはのしかかってきていた富野屋の身体をはね除けると、隠し持っていた簪型の小刀で着物の裾を豪快に切り裂いた。よし、これで動ける。救出者に手だけで合図すると、窓から月のない闇夜へと飛び込んだ。後ろからシカマルが続いてくるのがわかる。
背後からは影縛りから解放された富野屋の怒号。階下が一気にざわめくのが聞こえた。


そして数分後。シカマルとあたしは座敷からさほど遠くないの闇の中に潜んでいた。この格好のままじゃ逃げるにしても目立ちすぎる。シカマルの上着を羽織り、派手な着物を隠してはいるが。相手の様子がわかる位置で隠れ、タイミングを伺うのが安全だろう。灯台下暗しとも言うし。

誰にも聞こえないくらいの囁き声で、言葉を交わすあたしたち。
「言っとくが、好きで覗いてたわけじゃねーからな」
「釈明はいいさ。助けられたのはこっちだ」
「どうやらお前の依頼主の側に間諜がいたみてーだ。あのヒヒ爺の部下がそんなこと言ってんのを聞きつけたから、慌てて……」
「そうみたいだね」
「ったく、お前のことだから大丈夫だとは思ったけどよ、万が一っつーか」
「……いいから、ちょっと黙ってな。見つかったらどうするのさ」
「悪ぃ」

なんというか、肝心な時に冷静なのは女だというが、どうやら真実らしい。

「今夜、どうすんだ。そんな格好で」
「郊外に着替えを隠した小屋があるんだ。悪いけど、そこまで上着を借りててもいいか?」
「おお」
追っ手の声が近づいてくるのを感じ取り、再び気配を消す。
結局、街外れまで辿り着いたのは明け方近くだった。



なんとかまで隠れ場所まで辿り着き、小屋の扉をしっかりと閉じる。使われていない物置を勝手に拝借しているので、ここでも騒ぐわけにはいかなかった。2メートル四方といった小さな物置で、あたしとシカマルの距離はとても近い。
狭苦しい空間で居心地悪そうなシカマルだけど、緊張が解けたあたしはそんなこと気にせず、思いっきり伸びをした。
あたしのはだけた胸元から視線をそらしながら、妙に照れているシカマル。

「ったく、妬かせんじゃねーよ」
「なんだ、やっぱり妬いてるんじゃん」
「うっせ」

ぷい、と横を向く仕草が可愛い。あたしは藁の下に隠したいつもの忍装束を取り出しながら、後ろで居心地悪そうにしている奴にウインクしてやった。

「でも、ありがと」
んー、見返り美人ってやつ?


が、そいつが裏目に出たようで。

「ちょっと、あたし着替えたいんだけど」
シカマルは外に出るどころか、ずかずかと近づいてきて乱暴にあたしの手首を掴んだ。そのまま、あたしの身体を藁が敷かれているだけの固い床に組み敷いてしまう。あたしの眼を覗き込む。

「やっぱ駄目。あいつ触ったところ、俺が触り直す」

……あ。

首筋を、すっとシカマルの指先が撫でた。ぞくり。任務で誰かに触られるのとはまったく違う感触が、身体の芯を走る。広い手のひらが頬、それから顔の正面へと滑り降りてくる。親指の先が、もうすっかり化粧の崩れた顎に触れた。

「ん」

その指が紅をひいた唇に滑り込んできて、あたしは思わず声を漏らす。



帯はいつのまにか、すっかり解かれていた。




翌朝、あたしは痛む背中を気にしながら砂の里へと戻っていた。
「……あの莫迦……あんな固い床じゃ嫌だって言ったのに……」
つい数時間前のことを思い出す。

とりあえず(いつもの)服を着て落ち着いた後、シカマルはややバツの悪そうな顔で言ってきた。
「あー、あのさ、今後このテの任務がある時は、俺にいちおー報告してくれる?」
「なんで?」
「いや、なんでも」
「……毎回ついてくるとか言うんじゃないよ」
「いんや、事後でもいいから。ただ、俺が知らんとこで誰かがテマリのこと触ってるって考えると、俺もー」
「嫌だ。教えたところで悶々とするだけだろ、どーせ」
「いや、そーなんだけど……でも、なんかこー、気が収まらんっつーか」
「これだから男って嫌なんだ、自己中でさ」
あたしはどうも納得してなさそうなシカマルの頭を、一発はたいてやる。

でも、いつもより激しいシカマルが見れるんだったら、そーゆーことにしといてもいいかな。なんてこっそり考えた事は……もちろん、あの莫迦には内緒だ。



あとがき

これも懐かしい。あたし調テマリ嬢のはじまり、でした。
本気の勘違いがいつのまにか定着した良い例です。。。