ねこたま




不覚だ。
不覚をとった。
「なー、砂の下忍候補生は俺らよりきっつい修行をしてるって聞いたんだな!」
「んー、まあ、そうともいえるな。誰が教えたんだ?」
いつも小生意気な、木の葉のアカデミー生の1人が私にそう聞いてきた。負けん気が強く、熱心に修行をするいい生徒だ。多少の悪戯は過ぎるが。こんな触れ合いもなかなか新鮮だ。
木の葉崩しでの借りはどうしたって返せるものではない。だからアカデミーでの教師代理なんていう人を食った任務も、文句ひとつ言わずに引き受けた。だがこの任務、予想以上に面白い。
大きなゴーグルを頭に載せた生徒、木の葉丸は元気よく叫ぶ。
「目つきの悪い兄ちゃんだな!」
 我愛羅か。あいつは歯に衣着せないからな。だが木の葉の子供達にとって、逆にいい刺激になっているのかもしれない。
「確かに修行の時間は長いし、内容は厳しいさ。だが、修行や授業からどれだけ学ぶかというのはお前たちの姿勢次第だぞ」
「じゃあ俺らのほうが強いかもしれないってことだな!」
 お、言うねえ。すこし生意気が過ぎるぞ、と思った私は少年にはレベルの高すぎる課題を与えてやることにした。
「そうだなあ、私に術をかけられたら『木の葉のアカデミー生はお前らより頑張ってるぞ、だから負けるんじゃない』と、うちの子供達に言ってやろうじゃないか」
ああ、確かにそんなことを言ったな。ずいぶん昔の話のような気もするが。
 それ以来しばらく襲撃が止まなかった。ちょっと後悔。
「砂の姉ちゃん、俺らの術を受けてみるんだな!!」
「甘い!」
隙を見ては(といっても、からかうつもりでわざと隙のあるふりをしているだけだが)襲いかかってくる木の葉丸と、その友人2人。それでもまだ下忍にもなっていないアカデミー生の術だ。まさか引っかかるほど私も甘くはないさ。
と、思っていた。思っていたのだが……。

「やったわ木の葉丸ちゃん!!」
「作戦成功です……」
立ち上る煙の中、あたしは呆然と自分の手を見つめる。
いや、正確に言えば、手だったもの……。
「砂の姉ちゃん、俺らをなめちゃいけないんだな!俺らにはイルカ先生という無敵の軍師がついてるんだな!!」
やたら高い位置から、木の葉丸の勝ち誇った声が響く。
「しばらく経ったら元の姿に戻してあげるんだな!」
そう勝利宣言して去って行く三人組。
くそ、まさか、まさか……
もう教師代理の任務が終わったのに、まだ「ゲーム」を続けてたのか?!
けれどゲーム期間を宣言しなかったのはあたしだ。それに気づいたのも、そ知らぬ振りをしてあたしに近づくようにアドバイスしたのもイルカ先生だろう。やってくれるね。先生の机に置いてあった甘栗こっそり食べちゃったの、まだ根に持ってたってわけか。にこやかスマイルのくせして意外に執念深い。
それはともかく。
早急に対処しなきゃいけないのは、この信じられない現状。
あたしは自分の視線の先にあるものをもう一度、まじまじと見る。
ぷくり、とした肉球。
よりにもよって猫ですか。
今夜泊まる予定だった宿の小脇で(なんで脇道を使ったんだろ?あいつがいつも近道だって言ってはここを通るからだ、ちきしょう)あたしは呆然と立ち尽くした。
「くそ」
しかし出る声は「みゃおん」という響きだけ。

なす術もなく、ただ電柱の裏側で逡巡しているあたし。時折、知った顔を見かけたりもするが……なんとなく気恥ずかしくて物陰に隠れてしまう。
まったく、この手じゃ解術もできない。あいつらガキんちょの術のことだから、放っておいてもそのうち解けるだろうけど。困った。本気で困った。
とりあえず、部屋に行こう。
もう宿泊手続きは済んでる。愛用の鉄扇を置いてきたのは正解だった。まさかこの身体であんな重たいもの、運べないし。
地面を蹴って近くの樽に飛び乗る。お、身体が軽い。その高さから今度は二階の屋根へ。思ったよりも軽々と、雨どいまで手が届いた。よいしょ、と身体を持ち上げて、午後の光で温まった瓦の上まで辿り着く。ここで昼寝するのも気持ちいいだろうな、なんて、あのバカが考えそうなアイデアが心をかすめる。そんな場合じゃないと頭を切り換え、とにかくいつもの部屋に向かった。
まだ静かな時間の宿の廊下を、足音を立てずに進む。肉球も便利かも。
爪を引っかけてなんとか襖を開けた。いつもより数倍は大きく見える鉄扇が、どっしり壁にもたれている。今、地震が起きたら潰されて死んじゃうね、まったく。
「みゃあ」
ため息ついても、緊張感がないったら。
部屋の座布団の上で腰を落ち着けると、なんだかどっと疲れが襲ってきた。することもないので、本物の猫のように身体を丸めて目を閉じる。
そしてすぐにやってきた睡魔に身を任せた。

「テマリー」
襖の向こうから、誰かがあたしを呼んでいる。
うるさいなあ。
「みゃおーん」
思わず返事をしてから気がつく。そうだ、あたしは猫なんだ。
「…………テマリ?」
声のトーンが変わった。お、異変に気がついたか?
「……いねーの?」
気づけ鈍感!
「おーい、テマリー」
アホらしくなったので、黙っていることにした。
「開けちまうぞー」
乙女が留守にしてる部屋を勝手に開けるんじゃないよ!
「大口開けて寝てても知らねーぞー」
「ふぎゃー!」
さすがに怒りの声を上げるあたし。けれどまったく意に介する様子もなく、目の間の襖はがらりと開いたのだった。
そして、いつもの顔が現れる。つり目ぎみの、いつもふてくされたような面構え。きょろきょろと部屋の中を見回している。間抜け面め。
「なんだよ、ほんとにいねーのか……人を呼び出しといて、何やってんだか」
ぶつぶつと呟く。不満げというよりは不思議そうな声だ。そして、あたしもはたと思い出す。そういえば、コイツに本を借りる約束してたんだっけ。
このお世辞にも「凄い忍」と言い難い男、奈良シカマルにあたしが負けたなんてねぇ。今日の話でもないけど、油断はほんと禁物だ。
当のシカマルは、ベストの中から中くらいの厚さの本を取り出すと、ぽいっと机の上に放り投げた。そして、その横に積んである座布団の上で丸くなっているあたしに初めて気がつく。遅いってば。奴はじろりとこっちを見て、唐突に言い放った。
「よー、お前、テマリ」
え、気づいたの?
「どこいったか、知らねーよな?」
……期待したあたしがバカでした。
あーあ、と呆れたような視線をシカマルに投げるあたし(猫)。てか、猫があたしの部屋にいるってこと、不思議に思わないんだろーか。
「お前、前にテマリが餌やってた猫の友達がなんかだろ」
あれ。
ちょっとびっくりする。確かにこの宿の裏に住んでる野良猫に餌をあげたことがあったけど。こいつにそんなこと教えた覚え、なかったのに。なんで知ってるんだ、そんなこと。
「あいつが入れたのか?宿の親父に見つかったら怒られるっつーのに……」
シカマルはあろうことかあたしの身体をひょい、と抱き上げた。おい待て、何する気だ?!
  「こら、暴れんなって」
じたばたするあたしをものともせず、シカマルは立ち上がって窓を開ける。
「ぶみゃー!!!!」
あたしはブサイクな悲鳴を上げながら屋根の上に放り出されてしまい、窓は無情にもぴしゃり、と閉じられたのだった。

放心。

屋根瓦の上から望むのは、真っ赤に沈む太陽。しかし、そんな場合でもなく。
くそ、覚えてろよ、シカマルの莫迦野郎……。思わずぎりり、と瓦に爪を立てる。まあ、奴が出ていった後にまた忍び込めばいい話だけど。
あきらめて、落ちて行く夕陽をぼんやりと眺める。里のあちこちから、家路を急ぐ子供達の声が聞こえた。平和な里だ。あたたかい、里だ。
あいつはいつも、こんな風景を眺めながら昼寝してるんだろうな。
愛すべき故郷を見晴らしのいい場所から見守っているんだろう。
いきなり外に放り出されたことにも、あまり腹が立たなかった。ここでちょっと昼寝していくのも悪くないじゃないか。同じ風景を前にして。
とさり、と後ろから物音が聞こえた。
振り向くと、シカマルが立っていた。
「みゃおん」
何やってるんだ、お前?
猫の投げかける質問に答える訳もなく、シカマルはあたしの横に腰を下ろす。
そして、ごろりと寝そべった。
「うーん」
黒檀の瞳が、ちょうどあたしの顔の前にくる。じっとあたしを見つめる。
「お前、綺麗だけどキツそうな面してんなあ……あの人、そっくり」
それから、くしゃくしゃ、とあたしの頭を乱暴に撫でて笑った。
「あいつ帰ってくるまで、ここで一緒に待ってよーぜ?」
あたしがまだ知らない、柔らかい笑顔だった。

「みゃー」
あたしはなんとなく、一声だけ鳴いた。甘えたいような声で。

術は予想より早く解けた。日が落ちて2時間というところか。あたりはすっかり薄暗い。
シカマルはいつのまにか熟睡していたようだ。煙とともにあたしの身体が元に戻った後、隣でアホ面のまま鼾をかいていたシカマルは、ねぼけ眼でこっちを見やって、
「……お前、おせーよ。バーカ。風邪引いたらどーしてくれんだ」
そうぼやいたっきり。あたしがどこにいってたのかも聞かなかったし、さっきまで横で一緒に眠ってた猫のこともすっかり忘れたみたいだった。
「こんな所で熟睡してるお前が悪いんだろう。まったく」
あたしも今ちょうど戻ってきたみたいな風を装って、シカマルに軽いデコピンを見舞う。
「ほら、早く立て。待たせた詫びに、夕飯くらい食わせてやるよ」
「そう急かすなって。それに、女に驕らせるわけにわいかねーっつの」
「まったくお前は、ガキのくせにいつも男だの女だの……」
普段通りの会話だ。
それでも今夜のあたしは少しだけ気分がいい。ちょっと遅くまで、散歩のひとつくらいつき合ってやってもいいかもしれない。コイツが前から興味を示していた、砂漠の気候と植物についての話もしてやろう。
木の葉丸をとっちめるのはまた明日でいいさ。

……あの莫迦ガキが今日の話を里中に触れ回ってたことを知ったのも、彼が砂流の「お仕置き」を身体で学んだのも。
まあ後日の話、だ。



あとがき

仮タイトル「Die Schwarze Katze」⇒やっぱり「ねこたま」に。
旧ブログサイト開始当初の作品を加筆修正したものです。
当時のハッピーエンド・ほのぼのスタイル代表例のひとつですし、
旧サイトの名前を一部引用したタイトルへと、変更しました。