鹿男インフルエンザ






天井が、ぐるぐる、まわる。まっすぐ、ものが考えられない。
からだの芯は気持ち悪いぐらいの底冷えで、けれど熱くて仕方がない。
寝床の中で動かせない背中がびっしょりと汗ばんでいる。
ああ、熱い。それなのに、さむい。

本当に、目の前にあるもんが、幻覚だったらいいのにと。

「辛そうだな」

つらいにきまってる、っつーの。

――何しに、きたんだよ。

「何って」

熱いから、オレに、近寄んなって。

「見舞いだ、見舞い」

――つか、何で。

別に中忍試験の係官同士、いろいろ絡んだりすっけど、付き合いなんてそんだけだろーに。

なんで、わざわざ、寝てる奴を起こしに。ああ、面倒くせぇ。

「ゲンマが迎えに出てきたから、一体どうしたかことかと思えば…いきなり風邪だって? 忍の基本は健康管理だろう。まったく、日頃の鍛錬が甘いから倒れるんだ」

ああ、ひとが高熱出して苦しんでるってのに、ちっとは空気読めっつーか意味もなく爽やかっつーか偉そうっつーか、女の見舞いってそーゆーもんじゃねー、だろ?
  こう、果物でも剥いたりとか、そういう甲斐甲斐しさの欠片もねー。

いや、基本的には有難いんだけどさ、

なんつーか、今日はマジで、無理。


きんいろと、黒のシルエットが、ゆらゆらと揺れている。



換気だけはしときなさい、と。ヨシノさんがが少しだけ開いていった窓から忍び込んで来る風は、しっかりと冬の冷気を纏っている。

上気してやや赤く染まった奈良の表情。解いた前髪が額にぺたりと張り付き、息づかいはやけに短い。上下ともすっかり汗で濡れた灰色のスウェットに身を包んで、時々、苦しげに身を捩るばかりだ。

窓の外は、ちらちらと雪の華が舞い始めている。

この国の北部を襲った雪害の報を受けて、中忍試験に関わる忍の幾人かは緊急任務として木の葉を発ってしまっていた。明日には帰投するというが、おかげでこちらも1日スケジュールを繰り越すはめになった。

『ああ、奈良んとこの。あいつ、風邪でぶっ倒れてるらしい』

と、いっても…どうせ安眠をむさぼる言い訳にでもして、暇を持て余しているだろうから将棋の相手でもしてやるか。と思って訪ねてはみたが。まったく。

「我愛羅の奴がね」

ふふ、と思わず笑みがこぼれた。

苦しんでいる奈良の奴には悪いが、思い出してしまう。まだ、ずっと昔の話だ。

我愛羅が風邪をひいた時、あの子、無言でいきなり十二単みたいな厚着になって、大量の水袋と一緒に部屋に籠ってしまった。最初は具合が悪いなんて露ほどもわからなかったから、一体どんな実験をするのかと訝しんだものだ。

あまりにも長時間籠りっぱなしなので、恐る恐る様子を見に行ってみたけれど。

「守鶴の砂の中に籠って治してたんだ」

砂サウナの中で、今にも爆発しそうな形相だった。

「水分摂りながらひたすら汗かけば風邪が治るって、カンクロウがそう言ってたのを覚えてたらしくてさ。あんまり面白いから、つい首にネギ巻くかって聞いたら」

本当に、巻いた。

「あの子も根は素直っていうかさ、可愛いだろ?」

なあ? と同意を求めてベッドの中の奈良を見下ろす。

「………………みず…………」

ちっとも聞いていやしなかった。



熱過ぎて喉がカラカラだ。

オレの意識は眠いんだか眠くないんだか微妙な位置で、ただひたすらに揺れている。
不透明なのに、言語感覚だけは鮮明で。ぼんやりとはっきりが同居して、歯車が噛み合わないような感触だ。

どこまでも落ちていきたいのに、喉の奥に引っ掛かかる乾いた違和感がそれを邪魔する。



誰ともなしに、水を、と呟いた。

「……飲みな」

突然、ひやりと心地よい感触が頬に触れる。
オレは焦点の合わない瞳で、声の正体をぼんやりと眺める。

――あ。

すぐに身体を起こすのが面倒でもぞもぞとしていているオレの後頭部に、すっと手が差し込まれた。自然と前へ顔を傾けると、すぐ正面に水をたたえたグラス。
さっきまで頬の横にあった感触が、乾いた唇へと移動する。

ごくり、と喉を鳴らしながら、冷たさが身体の奥へと滑り落ちる。

「これで、足りるか?」

からかいの色は薄まり、むしろ優しいとさえいえる声音がオレに囁く。

オレは返事のかわりにかすかに首を縦に振って、また枕の中に倒れこんだ。

「早く治せ」

離れていく他人の体温がほんの少しだけ、名残惜しい、気もする。

「その熱じゃ、いつもの悪知恵も働かないだろう」

なんだよ、勝手言いやがって。覚えてやがれ。

「張り合いが、ない」

――う、っせ……。

「悪態がつけるくらいなら、ま、大丈夫か」



くく、と遠慮ない笑い声を残して、金色はまるで風のように。

一瞬だけ開かれた障子の隙間風、そしてすぐに階段を下る控え目な足音がした。
もう理解できないほどに遠い場所で、母ちゃんと、懐かしい声が言葉を交わしていた。



――なんだよ、あれ、見舞いのつもりかよ。



熱いような寒いような。

クリアなような濁ったような。

嬉しいような、あたたかい、ような。



なんだか相反するものがごちゃごちゃに混ざりあっていた。

すでに心地いいとさえ思えるカオスを身体の内側に抱えながら、
オレはまだぐるぐると廻ろうとする天井をながめて。





眠りに、落ちた。




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あとがき

冬、見事に風邪をひいて熱にうなされながら書いた拍手御礼です。。