夏への扉(始)




「ツーマンセルで『死の森』を塔まで。各班にはそれぞれの辿るルートを記した地図を渡しておく。
 チェック項目も添付してあるので、よく目を通しておく様に。それから・・・。」

昨夜から降り続いた雨もあがり、青空が顔を見せ始めた昼下がり、
第44演習場、通称『死の森』を背に担当試験官であるアンコの声が響き渡る。

来月に中忍試験を控え、試験担当者達は、その準備に追われていた。
各試験ごとにチーム化され、それぞれが最終的なチェック段階に入っている。
シカマルとテマリも、第二試験担当となり、かつての試験会場を前に、
先ほどからアンコの指示を受けていた。

「・・・またココに入るのかよ。勘弁して欲しいぜ。ったく面倒くせぇ。」
「中忍になっても、相変わらず泣き言か?」
シカマルのぼやきに、テマリが口にするのは聴きなれた皮肉。
「まだそれを言うのかよ。」
うんざりとでも言うような口ぶりのシカマルに、テマリはいつものように鼻を鳴らした。
「お前が言わせるんだろう?」
手元の指示書から、ちらりと視線を上げ、口元を緩める。
その表情に、敏感に反応する自分の心を悟られないように、シカマルは大袈裟にため息をつき、囁いた。
「・・・一体いつになったら、それをやめてくれるんスかね。」
テマリは面白そうに笑うだけだ。
「そうだな。ま、お前が上忍にでもなったら考える。」
そう言って、「足をひっぱるなよ、中忍君。」と指示書を手渡すと、
任務で使う地図を取りにアンコの元へと向かう。

「へいへい・・・。」
シカマルのやる気のない返事など、もう届かないところにテマリの姿はある。

最初は面倒な任務だと思っていた。
中忍試験の係など拘束時間も長いし、雑用も多い。
しかも砂隠れの担当がテマリだと知った時は、またこき使われるな・・・くらいにしか思っていなかった。
なのに。
その日の任務が終われば、彼女を宿まで送り届けるだけだったのが、気づけば寄り道が日課になっていた。
それはテマリの好きな『甘栗甘』だったり、『山中花店』だったり、
シカマルのお気に入りの『屋上』だったり、ただ、ぶらぶらと里内を歩いたり。
甘栗談に耳を傾け、砂隠れに持ち帰る植物を選び、将棋を指し、雲を眺め、ただ、散歩をしたり・・・。
そんな風に里で一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、
何故か彼女を見送るその日を、わずらわしく感じるようになっていた。
正門が近づくとつい口をつぐんでしまい、ただ見つめあう時間が訪れる。
それはほんの数秒なのかもしれないが、微かに動く唇は言葉を発することはなく、
そのうちテマリが「じゃあ、またな。」一言告げて背を向け、
シカマルはただその姿が見えなくなるまでそこに立っているだけだ。
そんな見送りを繰り返していた。

(俺が黙っちまうから、テマリも黙ってるのか・・・。)

それとも何か言葉を待っているのか。

(・・・待っているなんてことはありえねぇか。)

大体、何を待っているって言うんだ。シカマルは自問する。
ただの任務を共にする忍同士。しかも、テマリにとってシカマルは、年下の、中忍。
彼女の弟2人は、上忍に、風影だ。

自分と同い年だと言うのに、里の長。

(俺は相手にすらされねぇよな。)



(待てよ。・・・なんで俺はこんな面倒なことを考えている?)


この間からずっとそうだっだ。

『頭は切れるが、おっかねぇ、口の悪い、負けず嫌いな、年上の上忍。』
シカマルは普段、誰かにテマリのことを聴かれると、そう評している。
容赦なく敵を片付ける様は、冷酷にさえ映る。
けれど、そうじゃないテマリも知っている。
それを誰かに伝えたことは無い。
弟思いの優しい姉であり、草花を好み、愛でる心根の持ち主。
いのの店で見せる穏やかな横顔。
そんなテマリを、誰にも知られたくない、そんな気がして。

そして、時折こぼれる、あの無邪気な笑顔。

(ずりぃよな。あの笑顔を見せられたら、俺はいつも黙るしかねぇよ。)

今日の任務が終われば、来月には中忍試験が始まる。
そうなれば、共に過ごす時間も限られ、
そして、それは、テマリの来訪の終わりを告げるということだ。
試験が終わってしまえば、彼女がここに来る理由が無くなり、
もう、今までのように顔を会わせることも無い。

会うことが当たり前だったのが、会わない事が当たり前の日が確実にやってくる。
その事実が、明らかにシカマルの焦燥感をつのらせていた。

(だからと言って、どうすりゃいい?何を伝えろっつうんだ・・・。)

「・・・良、奈良。」
名前を呼ばれて慌ててそちらを見た。
「おい、さっきから呼んでいるのに。大丈夫か?」
テマリが地図を片手に、怪訝そうな面持ちでシカマルを見ている。
「わりぃ。何でもねぇよ。」
「なら、いいが。そろそろ森に入る。」
「ああ。」




一歩森に足を踏み入れると、さっきいた場所から数百メートルと離れていないはずなのに、
そこは別世界だった。
うっそうと茂る木々が日を遮り、初夏だと言うのに、ひんやりとした湿気が2人を迎え入れた。
加えて早朝まで降り続いていた雨を十分に受けた草木の匂いが濃さを増し、
シカマルは思わず顔をしかめた。
けれど、隣を歩くテマリは満足そうに、深呼吸を繰り返している。
瞳を閉じ、大きく両手を広げ、筋の通った鼻から、
その匂いをいとおしむように吸い込み、口から静かに吐き出す。
その度に、その肩と、豊かな胸が上下する。
黒装束から伸びる白い首筋も、その上の綺麗な顎も、
そして、背中の大きな鉄扇がいつの間にか不似合いに映るほど、華奢な身体つきも。
見慣れているはずなのに、いつも以上にシカマルの目に飛び込んでくる。
ひとつひとつが、女としてのテマリの存在を意識させる。

頬にかかる金髪のその毛先に見え隠れする薄桃色の唇。
開けば辛辣な言葉しか出てこないが、それは時折緩やかな曲線を描き、シカマルの心に忍び込んでくる。
触れたことはもちろんないが、無性に指先を伸ばしたくなる衝動に駆られることがある。
唇だけじゃない、指も手首も肩も、・・・テマリ自身に。

そんな風に女を感じさせていることを、この人はきっと気づいていないのだろう。
シカマルは、その横顔に問いかける。



「木ノ葉は本当に環境に恵まれているな。こんなにいい空気を吸ったのは久しぶりだ。」
ふいのテマリの言葉に、その姿態をのぞき見ていることを咎められたような気になって、
シカマルは、慌てて視線をはずした。
(こっちの気持ちも知らねぇで、呑気なもんだよな。)
「ここは和むような所じゃねぇと思うけど。気ぃ抜いてっと、怪我するぜ。」
投げやりにそう言ってから、シカマルの顔には後悔が色をのせた。
テマリに言う言葉じゃない。
案の定、彼女はおかしそうに口をゆがめている。
「かつて最短記録を作った私に言うか?」
今だ破られていない、砂の三姉弟がうち立てた『死の森』通過記録。
納得するように黙るシカマルに、テマリは無邪気に笑って見せた。

(やっぱ、ずりぃよ。なんでその笑顔見せんだよ。)

テマリが心地よく感じているこの森の発する匂いすら、
シカマルの心をじわじわと締め付けるような、圧迫感を感じる。

(駄目だ。こうやって側にいたら、永遠に面倒なことを考え続けちまう。)

「地図貸して。俺が先導するわ。」
「やっとやる気が出てきたか?」
「・・・まあな。」
シカマルは、近くの大木に駆け上がり枝に飛び移った。
雨のせいで、枝も、ところどころ生えている苔も、しっとり濡れて滑りやすくなっている。
「気をつけろよ。足元が・・・。」
「滑りやすくなっているんだろ?わかってる。」
こちらを仰ぎ見てそう答えるテマリに、また余計なことを口にしてしまったな、とシカマルは浅いため息をついた。
そして、テマリが同じ枝に飛び移る瞬間に、先の枝へと進んだ。






(なんて素直じゃないんだ、私は。)
テマリは、一歩先を進むシカマルの背を追っていた。
さっき彼は、恐らく忍としての自分に言ったわけじゃない。
上忍が任務地の状態を即座に把握して、対応することなど当たり前だ。
それはシカマルもわかっている。多分、気遣ってくれていたのだ。
ただ一言、「ありがとう。」と言えば、可愛げもあるのに、どうしてあんな言い方をしてしまうのだろう。

いつの間にか、見上げなければその横顔を捕らえることが出来なくなってしまった忍。
体つきも、顔つきも、声も随分と変わった。
初めて出会った頃は、線の細い、老成な口のきき方をする、子供だった。
そして、初任務を失敗した時に、人目も憚らず涙した男。
忍が人前で涙を見せるなど、テマリには考えられないことだった。
彼女の弟2人も、確かに短気ではあるが、基本的には感情を表に出すことはそうない。

(あの時も、嫌な言い方をしたな。)
男の癖に・・・と、ついきつい物言いをしてしまったが、
優しく慰めたり励ましたりというようなことが出来る性分ではない。

多分、何かの予感があるとすれば、シカマルの涙を見た、あの瞬間だろう。
テマリの心に、その存在がはっきりと刻まれた。
それは、『よくわからないモノ』として。
忍にとって、任務の対象の情報が明確でないことほど、危険で、手こずるものはない。
適切な対処のしようがないのである。
(それと・・・似てる。)

関わりを避けるべきだったのかもしれない。
後悔とは少し違う。
ただ、こうして木ノ葉で再度一緒の任に就くことになってから、
テマリの心に、ぼんやりと灯る光。
ゆらゆらと揺れて、強くなったり弱くなったり。

いつの間に、木ノ葉への来訪の日を心待ちにするようになったのか。
その道を急ぐようになり、砂隠れへ戻るときには、心の一部を置いてきてしまったような、
そんな気持ちにさせられていた。

(口癖のように、男だ女だと言うが、きっと自分がどれほど男を感じさせるか、気づいていないだろ?)

テマリは先を行く背に問いかけた。

普段はぼんやりと覇気のない顔をしているくせに、将棋盤に向かう真剣な眼差しに鼓動が早くなったり、
駒を持つ人差し指と中指に眼を奪われたり・・・。

そんなこと、この年下の忍は、きっと知らない。

そのポーカーフェイスを崩した時の、はにかんだ顔が見たくて、意表をつくことをつい考えたりする。
意表をつくのは、シカマルの得意技なのかもしれないが、
照れて頭を掻いたりする姿が、やはり年下らしく、素直な印象を受ける。
だから、テマリも、笑顔をこぼす。
大好きな草木の匂いを吸い込んだ時、それに混じって、隣に立つ彼の匂いを感じて、
胸を高鳴らせていたことも、この男はきっと気づかない。

気づかせたくない。
そちらに心の振り子が触れてしまわないように、精一杯可愛らしくない女を演じる。

(・・・?)
テマリは枝を蹴る足を、止めた。
(何でそんなこと、考えてる?)
忍として生きていくのに、可愛らしさなど必要ないはずなのに。
女としてどんな風に映っていようが、忍として相手を納得させられるだけの技量があればいいはずなのに。

(もうすぐ、あいつとの任務が終わってしまうからか?)

中忍試験が終われば、木ノ葉を訪れることもなくなる。
こうして、任務を共にするのも、今回が最後かもしれない。

目の前の背中が、離れていく。


「おい、どうした?」
テマリの気配が止まったことに、シカマルは即座に気づき、道を戻りかける。
それを片手で制し、テマリは再び、枝を蹴った。
(馬鹿な・・。任務中だ。)
今のまま・・・、互いに能力を認め合い、信頼し合える関係以上を、望んでいるのだろうか。






森をぬけた先の草原に出た頃には、すでに太陽はその輝きを終え
空に色が微かに残っているだけだった。
風のよく通る場所であるのにも関わらず、今日に限っては無風だ。


「この草原、通るの初めてだな。」
テマリがつぶやいた。
「そういや、俺も。」
中忍試験の時は、ずっと森の中を移動していた。

「・・・標的にされるのがオチだしな。」
「・・・標的にされるのがオチだからな。」


思いもよらず、声が揃った。
自然と目が合い、頭を掻くシカマルにテマリは笑顔を見せた。

(やっぱ、こいつ、こっちの気持ちに気づいてんじゃ・・・。)

「なぁ。それ・・・、わざと?」
「は?」
テマリは目を丸くしている。
「・・・いいや、なんでもねぇ。」
シカマルは慌てて口元に手をやった。
(何を・・・言ってんだ、俺は。)
「言いかけてやめるな。気になるだろ?」
「何でもねぇよ。しつけぇな。」
つい口に出た言葉に、動揺する自分を悟られないように、シカマルは歩く速度を速めた。
「別にしつこくなんてしてないぞ。」
テマリの声が追いかけてくる。
「面倒くせぇから、もう構うなよ。」

(面倒くさい?)
シカマルを引きとめようと伸ばした手が止まる。
「・・・お前は簡単でいいな。」
一段、低くなったテマリの声に、シカマルは足を止めて振り返った。

「・・・何が?」
「なんでも、面倒くさい・・・そう言ってしまえばそれで終いだろ?」

(そう・・・、きっと私の中のこの感情も・・・。)

「お前、何を・・・?」
瞬きをしてこちらを見ているシカマルの顔に、テマリは、はっと息を呑んだ。

(私、何からんでるんだ。面倒くさいなんて、こいつの口癖だろ。)

「お前が訳のわからないことを言い出すからだ。」
テマリは、シカマルを追い越し、先を歩く。
「ちょ・・、待てって。」
「うるさい。任務に集中しろ。」
振り切ろうと、駆けだそうとしたテマリの目の前を、黄緑色の光が横切った。

「・・・なんだ?」
ゆらゆらと揺れながら、飛んでいるそれに、テマリは目を奪われた。

すぐに追いつたシカマルは、その表情を見て、ああそうか、と納得した。
砂漠に住むテマリは、コレを見たことがないのだ。
(・・・そういや、そんな時期だな。)

「奈良、これは・・虫か?」
テマリはすでに言い争っていたことを忘れたかのように、その光に、惹きつけられている。

「来い。」
「なんだ、急に。」
「いいから。」
シカマルの歩き出している方角は、明らかに任務のルートとは違っていた。
「任務中に、何処へ行く。」
「ああ、もう面倒くせぇな。いいから。」
シカマルは、動こうとしないテマリの元へ戻ると、その腕をとった。
「なにを・・・。」
とっさのことに、テマリは腕を引いたが、シカマルは強引に手首を掴み、歩き出した。
「いいもん、見せてやる。」


ルートから外れ、向かった先からは、川音が近づいてくる。
シカマルは用心深く草の根を分け、小川の方向に入っていった。

「・・・これ・・・。」

闇に、無数の黄緑色の光が、あちらこちらで瞬いている。
まるで天空の星空をそこに落としたかのような光景に、テマリは言葉を失った。

「蛍火だ。」
「蛍火?」
「蛍って虫が発光してる。今の時期が丁度活動が盛んな時なんだ。」
今夜のように月も風もない夜は、それを鑑賞するのには絶好の機会だった。


「・・・綺麗だな。」
「ああ。でもこいつらの寿命は1週間くらいだ。」
「1週間?たったそれだけ?」
「1年かけて、ああやって飛べるようになったら、メスを探して、新しい命を繋ぐと、その生を終える。」

その身を燃やすように舞って見せて、 求愛を、メスに伝えるオスの蛍。
人から見れば、その儚い生の、限りをつくして。

現実から切り離されたような場所で目にした、この美しく幻想的な光景。

それは、蛍の放つ光のように淡く、けれど確実に灯った互いへの想いを、
2人に自覚させるのには、十分だった。


「メスは何処にいる?」
「そのヘンの草の中。オスに見つけられるのを待っている。」
「・・・だた、待っているだけか?」
「そうだな、一応似たような光を放つけど、多分、オスほどじゃないはずだ。」
「・・・。」

(蛍に、絆されてしまっただけかもしれないが・・・。)

「私なら、待たないな。」
「・・・。」
「1週間しか、生きられないんだろ?・・・だったら、自分から探しに行く。」
「あんたらしいな。」
シカマルの口元が思わず緩んだ。
「・・奈良。じゃあお前が蛍だったら、どうする?」
「俺?・・ん・・そうだな。」
シカマルは、蛍の舞を眺めながら、少し黙った後、
「面倒だから、メスが探しに来てくれるのを葉っぱの上で待つかもな。」
いつもの口調でそう言った。
今度はテマリが口端に笑みを浮かべる。
「呆れた奴だな。もし見つけてもらえなかったらどうするんだ?」
「それは仕方ねぇけど。たぶん・・・。」
シカマルは、ゆっくりとテマリのほうに向き直り、
「大丈夫じゃねぇ・・かな。」
その瞳の内を、探るように見つめた。
「?」

「・・・なんつぅか・・・もう、見つかってっから。」
少し上ずる声で、掴んだままのテマリの腕を持ち上げる。

(言っちまった。・・・さすがに気づくよな?)

闇の中、互いの表情は確認できない。
ただ、火照るように上がる体温が、繋がれた腕を伝わる。

テマリの反応を、その状態でじっと待っていたシカマルが、
一歩近づいてくる彼女の気配を感じるまでの時間は、実際は、ほんの僅かだったのかもしれない。

「・・・1週間しか一緒にいられない相手なんて、願い下げだぞ。」
テマリの声音も、いつもとは違う響きを持ち、その口元は緩やかな曲線を描いている。

2人のその姿を、囃し立てる様に、蛍たちの光が、瞬き始める。
そうして、次々と、葉の上に降りては、飛び立つ。


「安心しろ。俺らは、蛍じゃねぇから。」
シカマルはそう言って、テマリの腕を強く引き寄せた。



蛍たちが新しい命を誕生させる頃、

中忍試験が始まり、木ノ葉に、夏が訪れる。

そして、2人の恋にも・・・。



「MOJITO」りく様より1000打記念リクエストSS第2弾

夏への扉はとても思い入れのあるタイトルで、
さらに思い入れが深くなりました!多謝!