図書室のジュリエット
「シカマル」
「お、テマリじゃん。何してんだよこんなとこで」
一ヶ月ぶりにその姿を見た黒髪の男(目つき悪し)は「ひさびさの再会」や「遠距離の関係」とかいう単語群にまったくそぐわない第一声をよこしてきた。
その男、奈良シカマルの姿を見つけたのは、いつもの化学やら外交やら戦術といった小難しい本が置いてある一階の大部屋ではなく。図書館の中でもあたしたちが普段はめったに立ち寄ることのない、二階の書庫の一角でだった。
他に誰もいない書庫には、長い時間を経てきた紙束から漂う、どことなくかび臭い匂いが充満している。
「仕事が早めに終わったんだよ。こっちにいるって聞いたからわざわざ来てやったんじゃないか」
本当は夜になってから逢う予定だったのに、いちいち探してやったんだから少しは喜べ、と言ってやりたい。が、そんなことはもちろん言わない。
「だいいち、こんなところで、ってのはあたしの台詞だ」
「ん?オレが自分とこの図書館にいるのは、いたって普通だろ」
抱えていた本を床に置いたシカマルは、あたしの言葉に対して訝しげに眉を寄せた。
「それは本の種類によるな」
あたしは書架の脇に張られた書籍分類表を指してやった。【演劇】という札が掛けられているセクションに奴の姿を見かけるなんて、我愛羅が恋愛小説を探しているくらいに想像がつかない取り合わせだ。
あたしの意味するところを理解したか、シカマルは「ああ」と声を上げると、
「親父が忘年会で素人演劇するとか言い出してさ。オレ仕事でしょっちゅう図書館来てるし、ついでに台本探してこいって言われて。人使い荒いんだよな」
肩をすくめながら説明してみせる。
あのシカクさんが演劇……それもまた珍しい組み合わせだが。
「どんな台本だ?」
ちょっと興味が湧いた。
「母ちゃんと二人で演れる恋愛ものをご所望だとさ。ロミオとジュリエットみたいなこてこてのやつでいーんじゃねーの、って感じだけど」
「なんだそれ」
「知らねーの?異国の翻訳もので、有名どこだぜ?」
あたしの質問に目を丸くしたシカマルは、「ちょっと待ってろ」と言いながら数多い本の列にざっと目を通す。
ずらりと並んだ赤い背表紙のシリーズから一冊を手に取ると、
「ほれ」
その本をあたしの手の中に投げてきた。
本を受け取り、裏表紙に記された内容をざっと読む。あらすじが説明するところによれば、家族が敵対しているにも関わらず恋に落ちた二人の男女の物語、ね。
ふーん。
あたしは適当なページを繰って、女性側と思われる台詞を口に出してみる。
『……ああロミオ、あなたはどうしてロミオなの』
「うお。似あわねー……」
「うるさいな。じゃ、これならどうだ?」
狭い書架の間で、ふたりの距離はとても近い。
あたしはシカマルの瞳を覗き込む。そして台本の続き。
『どうか木の葉の名前を捨てると仰ってくださいな。それならば私もすぐに砂の名を捨てて、ただの女になりましょう』
奴の頬が一瞬、薄紅色に染まった。
「なんてね?」
「あー、でもさ、悲劇は好きじゃねーんだよな」
奴は照れ隠しのようにぼやく。いささか早口になっている。
「この話の最後ってけっこう間抜けでさ、女が薬で死んだ振りしてるのを知らないで、男は勘違いしたまま自殺しちまうの。で、起きた女は死んだ恋人見つけてやっぱり死んじまうってね。救われねーよなぁ」
確かに、嫌な感じのする結末だ。あんまりふざけないほうが良かったかもしれない。迷信深いほうでもないのだけど、ふとそう考える。
けれど物語と現実の間には、確実な違いがあった。
さすがにシカマルはそんな間抜けではない……はずだ。たぶん。
「じゃあお前なら、あたしが死んだようにぶっ倒れてたらどうする?」
あたしは試しに聞いてみる。
「そりゃ、こうする」
ぐっと手を引かれた。
急激な接近。唇が触れ合う感触。すぐにお互いの顔がはっきり見える距離まで離れたが、
「まずは蘇生措置に、人工呼吸ってね」
シカマルは悪戯を成功させた子供のようにニヤリと笑った。
「莫迦」
ひさびさの感触に、あたしも思わず微笑む。そのまま奴の肩に手を廻すと、今度は細いが筋肉のついた腕があたしの腰を引き寄せた。
もう一度、今度は深いくちづけを交わす。
背中のあたりを撫でていたシカマルの指先が、いつのまにかあたしの上着の中に滑り込み……
がし。
「……いってぇ……本の角は勘弁して……」
「お前、ほんとに莫迦か。さすがに限度ってものを考えろ。ここを何処だと思ってるんだ?」
手近な書架にあった(たぶんいちばん分厚い)本を片手に、あたしの口から飛び出すのは呆れまじりの言葉。
「口の次は心臓マッサージってのが定石だろーに」
後頭部を抱えてうずくまりながら、シカマルは恨めしげな視線を送ってくる。
「それは本当にあたしが倒れた時までお預けだ!」
肩で息するあたしの耳に届いたのは、図書館の閉館を告げる鐘の音だった。はっとして窓の外を眺めやれば、そこにはオレンジに染まる街並。この部屋からは、ちょうど商店街の一部が見える。家路を急ぐ子供たち。
シカマルはいつのまにか立ち上がっていた。数冊の本を小脇に抱えて、一瞬だけぼうっとしていたあたしの横を抜け、廊下へ続く扉をくぐろうとしている。
通りすぎざまに、耳元で囁かれた。
「じゃ、続きは夜までお預けっつうことで」
……今度はあたしが顔を赤くする番。
窓からうっすらと差し込む夕陽のおかげでバレてはいなかった……と思うが。
そのあたり、あまり確信はない。
あとがき
老獪なロミオと強気なジュリエット。
erp様主宰、素敵な図書室企画への参加作品です。