Cather in the Sunset




風の国は、火の国の西方に位置する。


徒歩で数日の距離を旅しなければならない砂隠れの使者は、
いつも午前中、それも早い時間に木の葉の里を出発するのが通例だった。

そんな朝の太陽は東の空の低い位置でうろうろしていて、
テマリを見送るオレの後方から、透明な光を投げかける。

背後からの光線が、オレの正面に長い影を伸ばす。

あいつの後ろ姿とオレの影の先端がひとつの視界の中に収まって、
それは街道を歩み去る女の後ろ姿を、さらに強くオレの網膜に焼き付ける。

(次はいつ)

そんな思いが一瞬だけ脳裏をかすめて、すぐに振り払われる。

(……期待なんてすっから、待っちまうんだよな)

オレは視線をテマリの背から自分の影へと落とした。
他の奴らが鏡を覗き込むのと同じ程度には真剣に影を観察するのも、
なんつーか、影使いの癖みたいなもんだと思う。

邪魔にならないように高い位置で結った髪。
相変わらずの撫で肩に、そこからひょろりと伸びる腕。
太陽の光で引き延ばされたシルエットは、
もとから細身なガキの身体をさらに細長く見せている。

こいつを、地面に張り付いた自分の分身を使えば、
また遠い地へと帰ろうとする女を引き止めることは簡単だろう。
飽きるほど繰り返してきた印を組んで、チャクラを流し込み
あとは矢のような追跡を命じるだけでいい。

(だけど、あいつが振り返ったところで
オレはいったいどんな間抜け面で、意味のない言い訳をするってんだ?)

だから、太陽のおかげで勝手に引き延ばされた影はそれ以上動かない。
立ち去るあいつの足跡を撫でるだけで、それ以上は決して求めない。

それはいつだって、名残を惜しむ素振りさえ見せない凛とした女と、
呼び止めたいのに立ち尽くすだけという情けない男の、
……つまりオレとあいつの間柄の、縮図みたいなもんだった。





「今日は夕刻に発つから」

火影から呼び出しを受けてやっと戻ってきたと思えば、
テマリはいきなりそんなことを言った。

それは中忍試験で必要な山積みの書類を整理している真っ最中で、
オレは昼飯を我慢して作業に没頭しているにも関わらず
どうにも山の頂きが低くなる気配は見えない、そんな状況だ。

「じゃ、こいつが終わり次第っつーことか?」
「そういうことになる、かな」

会話の間にも書類を繰る手は休まない。
テマリも正面の席に腰を下ろし、即座に作業を再開する。

「しかし、えらい急だな。出発予定は明日だっただろ」
「近辺で動いてるうちの里の忍から合流の要請が入ってね」
「なるほど」

他国の任務に関わることなので、それ以上は訊かない。
むしろ、ごく一部とはいえ出立の理由を漏らしたことだけでも異例だ。
迂闊な女ではないのは知っているから、それだけでも邪推したくなる。

(ちったぁ信頼ってやつも、されてんのかね?)

そんなことを考えながら、オレは書類の山の向こう側にいるテマリを覗く。
うつむき加減のその表情は真剣だった。こいつはいつだって隙がない。

「シカマル。手、止まってる」
「…………悪ぃ」

そしてオレは、こいつの前だとなぜか隙だらけになる。





「……ま、気をつけて行けよ」

やはり思った通り、テマリはろくに休憩する時間も取れないまま
木の葉を発つはめになっていた。
テマリが宿泊する予定だった宿から荷物だけを回収して、
オレは普段となにひとつ変わることなく、門まで見送りに出る。

「心配するな。仲間とはあまり遅くならないうちに宿場町で合流できる」
「ならいいけど、なにしろ日も暮れるとこだかんな」
「暮れたからどうした。私を誰だと思ってる」

背負った鉄扇子を軽く叩いて、テマリは自信たっぷりに笑った。
そこに疲労の色があまり見えていないことに、少しだけ安心する。

(……確かに、一人で歩いてたって襲われるタマじゃないけどよ)

実際、夜盗の一群なんぞは口寄せ一発で全滅するだろうが。
ずっと昔にテマリが数十メートルの森を一撃でなぎ倒したのを思い出した。
あん時は……やっぱり恐くて、でも掴めない女だと思った。

「じゃあ、また今度」

テマリはニッと笑ってそう言うと、オレに背を向けて歩き出す。
もう少なくとも恐くはない。だけど、相変わらず掴めない。それに、

(また今度……ね)

いったい何ヶ月前からこいつはこんな風に……
再会を匂わせるようなことを言うようになったんだっけか。

自分だって見送りの際にはそんなことばかりを気にしているくせに、
思い返せば、テマリの態度に微妙な変化が訪れたのはいつだったのか、
それさえもはっきりとは思い出せないのだ。

アスマがいつぞや、オレの知能指数がどーのこーの喋ってたが、
こうやって肝心なことはちっとも覚えちゃいないんだから
数値なんてものは、たいしてアテにもならないんだろうと思う。

ま、夕陽が眩しすぎて集中できないせいにしておこう。そうしよう。

それにしても、今日の夕陽は確かに眩しかった。
だからだろうか。テマリの影の濃さがいやに目について。

夕陽が沈む方向に向かって去っていく、背中の大扇子。
その行く先では、目に見えるくらいの速度で燃える太陽が沈んでいって、
そいつと地面との角度の深さと比例するように、影は伸びていく。

……いや、伸びてくる。
こちらに向かって。

(ひょっとしたら今日は)

捕まえられそうな気がした。掴めそうな気がした。あいつを。

オレはそっと両掌をあわせ、簡単な印を組む。
自分の背後で忠実に控えている影を前方へと伸ばす。
ゆっくりと、あいつに気取られないように。

けれど、その一端がテマリの影に触れそうになった瞬間、

(………いんや、まだだ)

オレは印を解いた。数センチという距離まで迫っていた影が、
まるで千切れたゴムのような速さでオレの足下まで戻ってくる。

あの後ろ姿を掴むのは、影じゃない。引き止めるのは。

そのままテマリの背は遠くなる。茜色の夕暮れに溶けていく。
今日はただ見送るけど。今回はお預けってことにしとくけど。

(いつかきっと、オレの、この手で)

その時が来たら、オレはきっと西へとまっすぐに歩を進めて
あいつの隣に並んで、あの白い腕をしっかりと掴む。
まだ早すぎるのはわかってる。だからもっと先に、きっと。

戻ってきた影は、今度はオレ自身の背後に伸びている。
振り返りはしない。ただ、心の中でぼそりと呟いた。

(だいいち、そんな美味しい役どころ
影のヤツに譲ってやる訳にいかないし、な)

……もし影が意思を持っていたら、いったい何と答えただろう。
早くしろよ、さもなきゃーーくらいは言ってくるかもしれない。
ああ、こんなくだらない想像をするのも、きっと西日が眩し過ぎるからだ。

テマリの金髪が夕暮れの中に消えたのを見届けてから、
門柱に預けていた背中をゆっくりと離す。
ずっと太陽を正面にしていたからだろうか、
眼がかすかな痛みを訴えて、オレは数度だけ瞬きをした。

振り向けば、黄昏はいつのまにかその濃さを増していた。



あとがき

「終日。」のcoeさまへ相互記念リクエストです。
「いい日旅立ち・西へ」から、‘出会いも別れも…西へ行く‘のフレーズ
*coeさまのみお持ち帰り可です!!