Flavor of Life (nihilist mix)






あの頃、少年は未来について知りすぎていたし
出会った少女は未来を信じてさえもいなかった。
無味乾燥な生き方と呼ばれたとしても構わなかった。
それが人生の本質だと考えて疑わなかったのだから。





アカデミーを訪ねるのは久しぶりだった。

西日の差し込む校舎はがらんとしていて、もう生徒の姿もない。いつも走り回っていたはずの廊下が、なぜか以前よりずっと狭く見える。

そもそも火影から砂忍への伝言を渡すだけの予定だったのに、これもテマリが「あ、アカデミーに財布忘れた」などと言い出したせいだ。さすがに様々な資料を保管してあるアカデミーに他国の忍を一人で行かせるわけにはいかない。かくて、わざわざ懐かしの母校まで付き添うはめになった、わけで。

「やっぱりこの中だった。悪いな、わざわざ」

滅多に使われない古ぼけたロッカーを漁っていたテマリが、こちらに向けて革袋を振ってみせた。ちゃりん、と小銭がぶつかる音が聞こえる。

「別にいーけどさ」

オレは軽く肩をすくめて応えた。テマリはロッカーの扉を閉めるのに悪戦苦闘しているようだ。手持ち無沙汰なので、教室の壁をぐるりと見渡す。 書道の課題だろうか。壁に貼られた半紙の上を、子供らしいややぎこちない書体で『変化の術』『イルカ先生』といった様々な言葉が踊っている。

その中に『将来火影』と大書された、一際目立つものがあった。

「これ、木の葉丸の奴だな。署名を見なくたってわかる」

いつのまにか隣に立っていたテマリが、オレの視線を追ってくすりと笑った。

「ひょっとして、お前も昔はこんなこと書いてたのか?」
「いや、オレじゃなくてナルトが同じこと書いてやがったなと思ってさ」
「子供は気楽で、羨ましいことだ」

あまり気楽な子供時代を過ごさなかっただろうテマリは、こういうものに懐かしさだとかは覚えないらしい。というか、たいして興味もなさそうだ。

「いんじゃねーの、夢がって」

オレも適当に答える。ま、他人の書など見て何が面白いわけでもないのだし。
けれど意外な事に、

「そうだな。夢が持てるのも平和な証だ」

今度はちょっと真剣な返事が返ってきた。テマリがオレのほうを向く。 そして、

「お前の夢って何だ?」

面倒くせぇ質問をされた。

「んーーーーーー。隠居」

「……それ、老後の夢だろ」
「うっせーな」

かなり的確な指摘だが、それでも特にどうしたいなどと思いつかないのだから仕方ない。どれだけ求めても、手に入れても、最後には消えてなくなるのだ。なんだって

それなら適当にやってるほうが気楽でいい。失うものは限りなく少ない。

「あんたはどうなんだよ。将来こうなりたいとか」
「そうだねえ」

同じ質問を返したオレに、テマリは少しだけ考えてから答えた。

「将来とやらになってもまだ生きてたら、その時に考えるよ」

そして踵を返すと、教室の扉をくぐる。オレは慌てて後を追う。


(まだ生きてたら)


ーーーーああ、まただ。

オレなりに薄々勘づいては、いた。

(あれ、いいな。ちょっと買ってくる)
(なんで後回しにする?今日中に終わらせればいいじゃないか?)
(これ読み切っちゃいたいんだけど、もう少し待てるか?)

こいつは、時々だが。

(…………覚えときな。明日があるとは限らないんだよ)

まるで今日が世界の終わりだとでも言いたげな口調になることに。

割とゆっくり歩いていくテマリの後ろ姿を見ながら、オレは今まで耳にしてきたせりふをいちいち思い出している。

(明日があるとは限らない)

それは常に命を危険に晒してきた人間のせりふだ。下忍の頃からオレらよりずっと殺伐とした環境をくぐり抜けてきた忍なら、迷わずにそう言うだろう。 刃の縁を歩くような緊張感を保つことさえ身体に染み込んでいるのだろうか。まるで呼吸をするように、現在という時間に意識を尖らせる生活。

オレには。
今日を生き延びなければ明日が来ない人生なんて、オレには想像できない。


「あんた、もうすぐ里に帰るんだろ?」

オレは歩調を速めてテマリの隣に並んだ。こいつの足は速い。一度どこに向かうかを決めれば、後は脇目も振らずにまっすぐ進む。

結局のところ、オレとこいつは違いすぎる。

所属する場所も、考え方も、生きる速度も、なにもかも。

「……今週末に発つと、聞いている」

オレのほうを向いて返事をしてきたテマリの歩調が、少しだけ緩んだ。

その隙に、ベストの中に突っ込んでおいた書物を無理矢理引っ張りだす。焦ったせいで角が折れたような感触がしたが、気にせずにそいつをテマリに差し出してやる。

「これ持ってけ」

不意を突かれたらしいテマリは一瞬だけ眉をひそめた。

「『基礎薬学・調合指南』?」

表紙に記された文字を読み上げてから、今度は怪訝そうな顔でオレを見る。

「オレが前に使ってたやつで悪ぃけど、お前にやるわ。勉強したいってただろ、薬学」
「いいのか、貰っていって。たぶん返せないぞ」
「構わねーよ。もうだいたい覚えてっし」

そう言いながら、オレは人差し指でこめかみのあたりを軽く突つく。

……いつか、本の中の知識がこいつを助けることがあるのなら。 そいつは遠い遠い先にある可能性で、ずっと離れたところいるオレには、その実現を知る術もないだろうけど、だけど。

「シカマル」

テマリが珍しく、オレの名前を呼ぶ。薄汚れた本をその両手に。
この本と一緒に、オレの記憶はずっと、こいつの側にいるだろう。

「ありがとう」

本から顔を上げたテマリが、いつもの強気な笑顔と一緒に言った。


ささやかな自己満足。

知ってる奴がこんなこと聞いたら、センチメンタルだと笑んだろう、な。







薄々とは、勘づいてはいたのだ。

黙っていても、その視線と態度に見え隠れする、やや普通以上の好意のようなものに。最初のうちは自意識過剰だと自分を戒めてもみたが、先日、

『あの世話役の坊主、姉貴に興味あるらしいじゃん?とうとう年下デビュー?』

などとカンクロウにも冷やかされた。木の葉の下忍経由で情報を聞き込んできたらしいが、それなら、まあ、そういうこともありえる……かもしれない。 ま、暇な人間がゴシップで盛り上がるのも平和だという証拠だろう。

あたしを負かしたこの男。あたしの欲しいものをちゃんと覚えていてくれる、口ほどには面倒くさがりではないらしい男、そして包みもしないそのままの本を無造作に差し出している男。

つまり奈良シカマルという奴に、多少の興味がないといえば嘘になるが。

……だが、だからどうだっていうんだ?  ニヤニヤするカンクロウに拳骨を喰らわせながら言ったせりふを思い出す。

『莫迦だね、片道三日もかかる土地に若いツバメ置いといてどうするってのさ?くだらない噂話に精出す暇があったら、本部に提出する資料でもまとめてな』

そう。結局、そういうことなのだから。 ちょっと頭を使えば、誰にでもわかることだ。

「オレが前に使ってたやつで悪ぃけど、お前にやるわ」

目の前のこいつだって、まさかそれが理解できない程の阿呆ではないはずだ。

「勉強したいってただろ、薬学」

いつのまにか隣に並んでいた奴の言葉を聞きながら、あたしはなんとなく本の頁をぱらぱらとめくってみる。ところどころに線が引かれていたりして、割と読み込まれている感じがした。 数頁を覗いたあとに、違和感に気がつく。

本の真ん中あたりに何かが挟み込んであった。そのあたりを開いてみる。栞だった。鮮やかな向日葵の花弁を綴じ込んだ、とてもこの男のものとは思えない栞。

あ。

(土産?花でも持って帰れればいいんだけど、すぐ枯れてしまうのがな)

そういえば、以前そんなことを。
覚えていたのか、この男は、なんの気なしに言っただけだったのに。

なんだか可笑しくなった。

「シカマル」

名を呼ぶ。本を閉じて、相手の顔をちゃんと見てやる。

「ありがとう」

この書物だけではない。たくさんのことに。

「…………へ?」

だが、あたしの礼を受けたシカマルは何とも言えず微妙な表情を浮かべた。

「なんだ、その顔は」
「いや、あんたからそーゆー素直な言葉が聞けるとは」
「不服か?」

意外そうな表情を隠そうともしないシカマルを前に、あたしの中でちょっとした悪戯心が生まれる。

「いや、そういうわけじゃ、ねえけど」

あたしが、こいつを繋ぎ止めておくことはないだろう。その繋がりの果てで、またいつか対峙する日が来ないなどとーーいったい誰が断言できる?  ならば無責任な期待を持たせるのは、愚行だ。 忍として、あたしの中に存在し得ない選択肢だ。

……それでも。

「それで足りないってなら」

また砂漠の生活に戻る前に、もう少し礼をしてやっても、いい。

あたしはシカマルに一歩近づいた。廊下の壁を背にした奴を追いつめるように。

「だけど、勘違いするんじゃないよ?」

そのまま顔だけ接近させて、薄く、乾いた唇を奪う。
意表を突かれたのか、シカマルは「なっ」と声をあげたが、

「……痛ッ」

すぐに思いきり顔をしかめて、あたしの肩を軽く突き飛ばした。

「てめー、噛みやがったな?!」
「ああ」

あたしは奴の目の前で、ニヤリと笑ってみせる。

「うわ、血ぃ出てる」

唇に触れた指先を確かめ、大袈裟に眉を寄せるシカマル。口では文句をたれつつも、その頬はかすかに滲んだ血の色に負けないくらいに赤くなっていた。 ひょっとして、女とキスしたのも初めてだったんだろうか?

あたしはまたさっきまでの距離に戻って、平然とうそぶいた。

「慣れてるだろ、そんな味くらい。それに」

こうすればお前は、あたしを忘れない。

これからどれだけの戦場を巡ろうとも、あたしのことを忘れない。
そう、鉄の匂いのする苦い味を噛み締める度に。

「それに、なんだよ?」

右手で唇の端を拭いながら、シカマルが訊いてくる。
だけど、あたしの本音を披露してやる義理などはない。

「……それに」

たとえもうあたしが二度と、この里を訪れることがなくとも。いつか何処かで、お前の知らない間にあたしが死んでも。この身体が朽ちて、それをお前は永久に知らないままでいても。

あたしは自分の上唇を、舌先でちろりと舐めた。同じ血の味がした。
再び歩き出しながら、後ろのシカマルに言ってやる。

「その味、生きてるって感じがするじゃないか?」

お前は、忘れない。

たとえ平和な木の葉に留まり、そうだな、軍師として出世して、もはや戦いに身を投じる事もなくなり、望む通りに隠居生活を送る事もできたとして、それでもお前は誰かとくちづけを交わすだろう?

その度に。

「……全ッ然、意味わかんねーし」

奴の不満げなうめき声は、前を歩くあたしにぎりぎり届くか届かないか。
あたしはまたいつも通りの早足で、夕陽に照らされる廊下を進む。

窓と反対側に伸びる影がずいぶんと傾いた太陽の位置を教えていた。それは今日という日の終わりを告げて、あたしは少しだけ、せつない気持ちになる。







(ひでぇ礼だぜ、ったく……いつも好き放題やりやがって)

少年は予想外の事態にいまだ動揺しつつ、少女の背中を追う。

(こいつ本当に、何やらかすかわかんねーよな……)

内心でため息。しかしそれは不思議と、嫌な気分ではない。

「なぁ」
「ん?」
「里に戻ったら、またいろんな任務、受けるんだろ。危ねぇのも」
「まあね」
「あのさ」
「なに」
「なんつーか……気ぃつけろよ」
「言われなくたって」

(あんたに言われなくたって、気を張ってるよ。いつも。だから)

少女は珍しく、いつか遠い先の可能性のことを思う。

(だから万が一……次が、あったら)

そして、ありえない事だ、と首を振る。自嘲するように笑う。
後ろをついてくる少年からは見えない角度で。



血の味はまだ、ふたりの舌の上でかすかに残っている。
どうやら、その苦さはしばらく消えそうになかった。



あとがき

草貫かえでさまリクエスト、しかてまで宇多田ヒカルの同名曲。
*かえでさまのみお持ち帰り可です。
振り返ると、多少恥ずかしい、笑 若さゆえのアレです