Beautiful world and Beast




じっと透明な水流を眺めていた。

とうに酸化した赤黒い液体がこびりついている二の腕が、ふとボクの視界に入った。(この中に腕を浸したら気持ちいいね)思わず手を伸ばした時に、ぱちゃんと水が跳ねる音を聞く。動きを止めてそちらを見れば、銀色の背びれがすいすいと泳ぐ光景があった。右へ左へ。小川の流れに逆らい、頭を川上へと向けて小さな身をくゆらせている。重力のままに落ちてくる水流へのささやかな抵抗に、いったい何の意味があるのかは知らない。彼らの本能だけが支配する豆粒ほどの脳に、意味なんていう、生存のためには無用な概念があるとも思わなかったけど、それでもボクの目には決死の泳ぎと映った。

とどまり続けることに理由なんて、ないのだけど。

ボクは空いているほうの手で面を外した。面をつけたままで生死について考えたりしないと決めているからだ。絶対に。意義だとか、善悪だとか…そういった何もかもをひっくるめて様々な呼び方があるけど、面をかぶった時には、どの言葉にもたったひとつの意味しかない。それは命取りと呼ばれる。任務をいかに効率的に遂行するか? その問いに必要な解答と解法しか、ボクらには必要ないから。だから、面の下では不必要なことを考えない習慣をつけなければいけなかった。単なる訓練の結果だし、それこそ、そこに何の意味を見出すこともないとしても。

面にも返り血が飛んでいた。

ボクたちよりずっと昔に,ボクたちを組織した誰か。彼らが獣の表情を選んだのには、それなりの理由があったんだと思っている。「獣は常に最短の道を選ぶ。必要なだけ狩り、喰らい、眠る。彼らの本能に、我らヒトのような複雑な感情は存在しない。それは何故か? 彼らはそれを排除してきたからだ。寧ろ、生き残り子孫を残した個体から、遺伝的に排除されてきたものであるからだ」。まだ新人のころ、野営のための夕食を捌きながら、仮面の下の誰かがそう喋っていた。そして3日後、その面の男は死んだ。獣に成りきれず、排除された。

けだもののやふにいきよ
けだもののやふにくらへ
けだもののやふにまどろみ
おのれをしらぬけだものであれ

無表情な面を首の後ろへと回した。出立してからはじめて、この地の空気が美味しいという事実を自覚するボクがいた。少しずつ,ボク自身の感覚を主観と客観の中間へと接続していく。(己を知らぬ獣であれ。そう言ったのは誰だっけ?)人にあり獣が持てない感覚とは、自分自身を客観的に見下ろす視点なんだそうだ。自分を客体として認識する視点があって、はじめて個を自覚するとう過程。ボクらは面を被り、他者としての自分を俯瞰しようとする自我を否定する。ただひたすらに研ぎすまされた個と、その群れであろうとする。迅速な判断を妨げるものをひたすら削ぎ落とした疑似本能を前提に、ミニマムな個体の群れは感覚を共有する。それがボクたち、暗部が理想とするチームワークだ。

思考は濁流のように襲ってきた。野外で面を外した時の悪い癖だ。

視界の中の魚は、いつのまにか2匹に増えていた。鱗が午後の陽光に反射して、きらきら、きらきらと輝いている。彼らがなぜ、水流に抵抗しながら同じ位置にとどまろうとするのか、そこに目的や理由なんてないのだろう。足掻くことに意義を見出そうとするのは、成長した脳が暇を持て余した挙げ句に産み出した、ボクたちの意識だけだ。時間と有限の概念を持ってしまったボクたちだけだ。ボクはふと、今のボクを創り出した男について思った。不老不死を願うと聞くあの男は、無限が恐くないのだろうか。有限の終わりに抵抗し続けるのは、この魚のように、生命のとしての本能なのだろうか。

静かに水の流れる音がする。

血の汚れを洗い流そうと思い、ボクは水流の表面へとふたたび手を伸ばす。川底に映る影の変化か、それとも微かな気配に気付いたか、二匹の魚は身を翻して川下へと泳いでいった。(鋭敏なんだな)ボクは水面に触れるぎりぎりのところにあった指先を引っ込める。代わりにポーチから手ぬぐいを取り出し、それを冷えた清水に浸すことにした。軽く絞った布で、腕の返り血を拭う。そして面の染みも同様に。(偽物の獣)ボクは苦笑する。けだものは、顔に跳んだ獲物の血なんて気にはしないだろう。だから何の意味があるというわけでもないけれど。さあ、余計な視線は止めて。ボクは綺麗になった面でふたたび表情を覆った。

小川はただ、さらさらと流れていた。




あとがき

隊長はシビアな仕事人と人間くささがきっちり別れているところがいいですね。
そのふたつを同時に抱える奈良君とは、また違った魅力なわけです。はい。
SSより最早散文もしくは習作ではありますが、暗部噺はこんなんばっかかも。