センチメンタルトライアングル
幼なじみ。とてもいい響き。
どこまでも完結した間柄。あたしの知らない間に始まって、続いてて、いつのまにか既成事実になっていて。そして、誰も積極的にそのバランスを破壊しない事を前提とした関係。
あたしたち3人の、消極的な、バランス。
ずっと、こんな心地いい関係が続く可能性をーー期待してたわけじゃない。父さんたちみたいに、同性同士なら良かったんだろうけど。年をとって独り立ちする時期がくれば自然消滅しちゃうんだろうってことくらい、あたしだって知ってた。12才ってのは、大人が昔を振り返って考えるほど子供じゃないんだもの。 忍者として生きて行くなら、特に。
でも、誰が一番に独り立ちしていくんだろうなんて、考えた事もなかった。
考えないようにしてた。
あわよくば、あたしが最初に恋人でも見つけて、彼らのもとを去っていければ楽なんだろうなって風に考えたことだってあった。狡い奴だって思われるかもしれないけど、否定はしない。
だって、あの3人の中で、あたしが一番弱い人間だったんだから。
「ちょっと、あんたたち!書類の提出期限は明日までよ?!わかってんの?」
空きビルの屋上に続く階段を駆け上れば、予想通りの姿が見つかる。ベンチに寝そべり、今にも昼寝の体制に入ろうとしている怠け者。あたしは中忍試験の志願書類を、そいつの顔面に叩き付ける。
「あー……忘れてた、めんどくせー……」
意外に素早い動きが、間一髪で書類の直撃を防いだ。3枚綴りの志願書の上に、指先だけが覗いてる。その下から聞こえるのは、いつも通りの呻き声。
バカマル、もといシカマル。うちの父さんと、彼のお父さんのシカクさんはスリーマンセルのチームで活躍した仲だ。ちょうど今のあたしたちみたいに。
「めんどくさいは後!とっとと終わらせちゃいなさいよ!」
「はいはい……」
こいつ、間違いなく明日の提出直前、5分間で終わらせる腹づもりだわ。
「いのちゃーん、僕のぶんも貰ってきてくれたの?さんきゅー」
「ーーあんた、ちゃんと手を拭きなさいよ?お菓子のカスが書類にくっついて、それだけで失格になっちゃうわよ」
「大丈夫だよ、それだったら父さんが昇格できたわけがないもの」
そして相変わらずの掛け合いを交わした後に、もうひと綴りの書類を隣に座っているチョージに手渡す。彼のお父さんも同じくスリーマンセルの一員だった。 ちょっぴりおデブなチョージだけど、あの食欲も遺伝みたいなもんだし、まあ仕方ないわよね。痩せたらもうちょっとモテるとは思うんだけど。
山中いの、奈良シカマル、秋道チョージ。
下忍チーム第10班、チームワークならどこにも負けないスリーマンセル。
あたしが面倒をみてあげなくっちゃ、何にもできないスリーマンセル。
そう思ってた。
あの時までは。
アスマ先生は人一倍嬉しそうだった。そりゃそうよね。アカデミーいちの怠け者、あのナルトと並ぶ落ちこぼれだと思われてたシカマルが、唯一の中忍試験合 格者だったんだもの。先生は、ちょっと前から随分と彼のことを買ってたみたいだったから。部下の3人を同じ様に扱ってはくれてたけど、ひとりで先生の家に 遊びにいってたのってシカマルだけだったよね?
……もちろん私だって嬉しかった。その気持ちは嘘じゃない。そんなことを妬んでたら、忍なんてやってられないわ。今回は少しだけ甘かったってこと。もう 少しだけ、修行が必要だってこと。シカマルが別の任務に行っちゃうってのは寂しかったけど、変化ってのはいつだってちょっぴり寂しいものだから。
あたしは大人だから、大丈夫。
だけど、サスケくんがいなくなっちゃった後。シカマル達は彼を追いかけて行って…………あの、砂の怖い人達と一緒に戻ってきた。そんなにあの人たちを信用して平気なの、あたしが無意識にそう呟くと、
「仕方ねえだろ、あいつらだって騙されてたんだ、大蛇丸にさ。今は同盟国なんだから、少なくとも表立っては悪い言葉は控えたほうがいい。実際、俺だって助けがこなかったら、今ここにいれるかどうかもわかんなかったんだぜ?」
あたしが入院中のチョージにリンゴを剥いてあげてる横で、なんだか急にリーダー口調が増えたシカマルはそう言う。窓を半分だけ開けて、その先に見える青い空に視線を投げてる。その横顔は、大人びた言葉さえも違和感を感じさせない雰囲気だった。
あたしには、そっちのほうがよっぽど違和感だわよ。
「でも、砂の忍のせいでたくさんの人が亡くなったのよ?裏の魚屋さんのおじさんだってまだ入院中で……」
悔し紛れの反論口調にも、冷静な返事ばっかりが戻ってきた。
「身内でどうこう言うのは勝手だろ。でも、それを外じゃ言わねえのがルールだからな、そういうの面倒くせぇけど仕方ねーよ」
「……なに理屈っぽくなってるのよ。仕事みたいな話しなくたっていいじゃない」
「あんだよ、噛み付くなって」
「別に噛み付いてない」
「……………………」
一人だけ、大人の責任感みたいなのを身につけちゃわないでよ。
先に大人になっちゃわないでよ。
悔しいから、それは言わなかった。
「まあまあ2人とも、喧嘩しないでよ。ーーこのリンゴ美味しいよ?いのちゃんも食べなよ」
…………あの食欲の権化のチョージにさえ気を使われちゃってる。
正直、かなり効きました。
だから、シカマルが、あの大人になっちゃったシカマルが、私にあんな相談を持ちかけてきた時……実際、優越感を感じなかったっていったら嘘になる。
人手不足のせいで今までのスリーマンセル以外の組み合わせで任務を行うことが増えて、時には中忍クラスの任務まで(試験中の評価が、任務レベルにも反映 されてたって話だけど、ほんとかしら?)担当するようになってた。あたしは、やっとショックから立ち直りかけてたサクラと一緒に情報分析の任務をこなした後で、
「長い頭脳労働の見返りは甘いものよね!」
「頭を使うと糖分を消費するから、甘いもので補給するのが効くんだって!」
「あら、その巨大なデコの中に少しは有用な知識が詰まってるのねー!」
「なんですって、このイノブタ!あんたの場合は砂糖のとり過ぎよ!」
なんて風に、サクラが普通の生活にーー表面上だけでもーー戻ってきたことを喜びながら、甘栗甘で特大あんみつをたいらげていた。
「よぉ、お二方。まーたデブりそうなもんばっかり食ってるなあ」
突然に、人影が背後に立つ。
「あれー、いっがーい」
あたしの後ろの人物と正面になる位置でおしるこを啜ってたサクラが、目をまん丸くするのが見える。声だけでその正体を予期してたあたしと同じ感想だ。
「私、シカマルって甘いもの嫌いだって思ってたのに」
「頭脳派ルーキーの中忍君は、糖分摂取が必要なんじゃなぁい?」
嫌味に聞こえないよう、明るい声を装って。あたしなりの精一杯の嫌味。
それでもサクラが少しだけ眉をひそめたのが見えたので、あたしは慌てて笑顔を作ってフォローした。
「冗談よ、シカマル!どうしたの、アスマ先生に団子でも買ってこいって頼まれたの?」
降り向いてそう言うと、意外な事に、目に入ったのはちょっと困ったような彼の顔だった。目線を斜め上にやって、人差し指でこめかみを引っ掻いてる。
妙ね、妙だわ。あたしは思う。なんで焦ってんのかしら、こいつ。
「……座る?」
あたしは席を詰める。シカマルは躊躇せず、そこに腰を下ろした。いつも通り遠慮のない奴。ちょっと大きめとはいえ、もともと1人がけ用の板張りの椅子だ。身体がぎゅっと密着する。一瞬だけあたしの腕に乾いた感触が擦れて、すぐに離れた。ああ、中忍用のベストだ。深緑の、新しいユニフォーム。
「で、ほんとに何してるのよ、こんなとこで。珍しいじゃない」
そう聞くと、シカマルは「あー……」と、言葉を濁してから言った。
「いや別に、たまたまお前ら見かけたからさ。特にいの、お前とチーム組む機会がなかっただろ、今週」
「ふうん、いの達んとこもそうなんだね」
「ああ、サクラんとこも……そだな、ナルトも、なんだかちゃんと修行してるみたいじゃねーか、最近。もう、個人の特性に合わせた任務が来てもおかしくないってことじゃねぇ?」
あえてサスケくんのことには触れない。
「あたしとチョージだけで組んでも、能力的にバランスが取れないのよねー。だからってわけでもないけど、今日みたいにフレキシブルな下忍の組み合わせになることが増えたわよね」
「で、お前らがペアになるってわけね」
「そーなのよシカマル、聞いてちょうだい!このワガママ娘と一緒のチームなんてさ、今日だってーー」
「お黙りイノブタ!」
いつもみたいにやりあってるあたしたちだったけど、本当は気づいてる。サクラがおしるこを啜るペースが早くなってるってことも、もちろん知ってる。
ずずい、と椀の底にのこった粒あんを飲み干して、サクラが立ち上がる。
「誘ってくれてありがとね、いの。私、ちょっと急がなきゃいけない時間だから。お勘定は置いとく。じゃあ明日のフィードバックでね」
「じゃあな」
「明日ねー!」
あたしたちはさりげない振りを装って別れた。足早に去って行くサクラの後ろ姿を見やりながら、シカマルはさっきまで彼女が座っていた席に移動する。
「……………………」
「……………………」
ちょっとだけ沈黙が続いた。
いつからだろう。あたしたち、言葉の裏に潜む感情を汲み取りながら動くようになってるね。さっきのサクラだってそうだ。シカマルがあたしと話があるってことを敏感に感じ取って、先に席を立ってくれた。
そういうのが得意なのは、あたしだけだって思ってたんだけどなあ。
「俺さ」
「何よ」
シカマルがやっと口を開く。
「相談があんだけど」
「…………珍しいね」
「そーか?」
「そーよ」
そこまで言って、笑う。
「なーによ、出世したって肝心なとこはちっとも変わってないんだから!前はちょっとしたことであたしの前で愚痴ってたのに、最近はちっともそんなことないから、どうしたのかって思ってたのよ!ゆっくり話す時間もなかったからしょうがないけどさ」
ほっとして、以前の勢いのままにまくしたて始めたあたしをさえぎったのは、他でもない、
「いや、違う。今回は愚痴とかじゃねぇんだ」
ーーーーやっぱりどっか違っちゃってる、シカマルだった。
一人だけ盛り上がった自分がなんだか恥ずかしくなって、あたしはまた黙る。
「…………じゃあ、何なの?重要なこと?」
「いや、そーでもねーんだけど」
でもはっきりしない。都合の悪いことを隠そうとしてる子供みたい。なんかムカつくなー。
「早く言いなさいよ」
「いやさ」
「だから早く。さもなきゃあんたの奢りで、パフェ注文するわよ」
「あー、わかったよ…………俺さぁ」
「うん」
「女に惚れちまったっぽい」
その瞬間、あたしはクリームたっぷりのスプーンを鼻に突っ込みそうになるくらい驚いたのを覚えてる。
「マジで…………?………………誰に……??」
半分、テーブルに突っ伏しそうになってるあたしを前に、重大事実(ホントだわ!)を告白して気が楽になったらしいシカマルは、ニヤニヤしながら窓の外を眺めてた。
「いや、それは言えねえけど」
「何それ!」
「そりゃー機密情報。お前、諜報担当目指してるんだろ。自分で見つけてみ」
シカマルが変だ。
助けて、目眩がする。
「言えねえけど、お前ならわかる。で、相談がある」
あたしの返事すら待たないで、シカマルは続けた。
「そいつ、またしばらく遠いとこに行くんだわ。で、何か土産にでも持って帰るかって聞いたら、花が欲しいって言うんだよ」
あ。
遠い所に帰る人。
「でも、そいつの住んでるところ、すぐ花なんて枯れちまうからさ。押し花にでもしてやったらいいんじゃないかと思った」
乾いた土地に帰る人。
ちょっと前に図書館で見かけた、向日葵の色をした髪のあの人。
サスケくん奪還任務の時に、シカマルを助けたっていうあの人。
「花なんて似合わねえなっつったら、殴られたけど」
誰のことを言ってるのかくらい、すぐにわかる。
あたしは、誰よりもあんたのことを知ってるうちの1人なんだから。
あの鉄扇の角じゃぁ、痛いわよねえ?
そこまで聞いてて気がついた。
シカマルがその人の名前を口にしない理由に。できない理由に。あたしたちの里が、彼女の里の勢力によってどれだけの痛みを受けたか知ってるから。ほんの 少しの可能性だけど、今、後ろに座っている老夫婦の息子が、あの事件でこの世を去ってしまったなんてことだってあり得るのだから。
それでも「惚れた」って言っちゃうんだね、シカマル。
あんたの行く道、すっごく大変だよ。
覚悟、できてるの?
その覚悟、幼なじみのあたしには、打ち明けてくれるの?
「で、あたしに押し花つくってちょうだいってわけね。多忙な中忍くん」
ちょっとだけ意地の悪い笑みを浮かべながら、あたしは言う。
「高いわよぉ、あたしの特注押し花は…………とりあえず花見団子セット、注文していい?もちろん、チョージの退院祝いもシカマル持ちになるのよね?」
「…………おうよ、あいつに相談したらさ、そういうのはお前に聞くのが一番だって」
「あったり前じゃない。まっすぐあたしのトコにこなかった罰として、チョージの差し入れ用の道明寺、代金お願いね!」
慌てて懐のお財布に目をやるシカマルを横目に、あたしは店員さんを呼んだ。
3日後に押し花を挟み込んだしおりをシカマルのもとに届ける約束をして、あたしたちは別れた。シカマルは今からまた任務があるらしい。砂の人たちとの連 絡業務。誰もやりたがらない仕事を押し付けられたおっさんみたいな口調で「めんどくせ」なんて言ってたけど、ほんとはけっこう楽しみにしてるはずなんだ。
あたしはまだ特盛りの団子と格闘してる。太っちゃったらあいつのせいだ。ダイエットを兼ねて、修行につき合わせなくっちゃ。
でも、悲しい時は甘いものに限るから。
「シカマルのバーカ」
誤解しないで。あたしがあの怠け者のことを好きだったとか、そんなことじゃない。ただ、今までアタリマエにあった物が変わる時ってさ、ちょっと悲しかったりするでしょ?
「失恋したって、慰めてなんてやらないわよ」
きっと言葉にしなくたって、あたしたちはわかりあえる。今までもそういう風にやってきたし、これからもずっと。だから口に出して慰めなくたって大丈夫。でもそんなことないといいね、バカマル。
それからもうひとつ。あの人は、あたしたちとは違うんだよ。言葉にしなくちゃわからないことが、きっとたくさんある。幼なじみをナントカと誤解してなんていう変な三角関係、あたしは絶対ごめんだからね?
「また、あたしが助けてやんなくちゃいけないはめになるんだろなあ」
そう呟いて、最後に残った串を持ち上げ、団子を口に放り込む。
椅子から立ち上がろうとした時、ちいさな違和感が戻ってきた。
シカマルがあたしの隣に腰掛けた時だ。あの違和感はベストのせいだけじゃなかった。
あいつ、ちょっとだけーー身体を離したんだ。あたしと距離を置いたんだ。
きっと、2才年上のあの人に、初めてオンナノコを意識したから。
一瞬、胸がチクリと痛んだ。
でも、それもたったの一瞬。
あたしはお会計を済ませ、道明寺の包みを持って木の葉病院へと向かう。今日はもう、シカマルは来ないかもしれない。だけど、あたしたちの3角形はそこにある。ちょっとだけ面積が大きくなったかたちで、そこにあるはず。
明日は店番だし、店の向日葵をキープしとかなきゃね。
チョージとタッグを組んでシカマルをからかうなんてひさしぶりだわ。そんなことを考えながら、あたしは夕日に染まる里の道を、顔を上げて歩いていった。
あとがき
処女作です。懐かしい。